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マルタ・ヒストリー

history of Malta

world oldest megalithic temples

​人類最古の巨石神殿群

紀元前5千年頃、最初の巨石神殿がゴゾ島に作られました。その後マルタ島の各所に神殿が作られ、現在30ヵ所が確認されています。最大60トンもの巨大な石を切り崩して積み立てられた神殿群は、エジプトのピラミッドよりさらに2,000年も古いとされ、現存する建築物では世界最古を誇ります。
 
神殿跡からは、祭事らしき痕跡が見られ、また火葬の跡なども確認されています。しかし、実際どのような目的でどのような人たちが作ったのか、またどのようにして巨大な石を運んだり加工したりしたのか解明されていません。
 
現在、マルタの神殿群は世界遺産登録されています。主な神殿跡は、タルシーン神殿、ジュガンティーヤ神殿、ムナイドラ神殿、ハジャーイム神殿など。

history of Maltese nobility 

マルタ騎士団の歴史

マルタ騎士団の歴史は、マルタを語る上で欠かせない重要な歴史です。また、現在のマルタの社会文化にも大きな影響を与えています。
 
中世では、聖地エルサレムをめぐって、ローマ帝国とイスラム帝国の間でたびたび戦争が起きていました。戦争が一段落してからは、聖地防衛と巡礼者保護を目的とした3大騎士修道会(聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、ドイツ騎士団)が組織されました。マルタ騎士団の前身である聖ヨハネ騎士団は、12世紀初めに組織され、巡礼者保護及び、聖地防衛にも加わりました。平時には騎士団が運営する病院での医療奉仕が義務付けられていました。
 
騎士団は修道士で組織されていましたが、戦時は戦闘の主力としても活躍しました。聖ヨハネ騎士団だけでも2つの大規模な要塞と140程の砦を持つ大きな組織でした。騎士団に入ることは当時、大変な名誉とされていました。
 
1187年、イスラム勢力によって、エルサレムが奪われて以降、後退を余儀なくされた聖ヨハネ騎士団は幾度と無く拠点を変え、最終的にマルタ島に本拠を構え、マルタを統治します。これ以降、「マルタ騎士団」と呼ばれるようになりました。
1565年、イスラム国家オスマン帝国による200隻近い大船団の来襲を受けます(マルタの包囲戦)。オスマン帝国の5万人の軍勢に対し、7千人あまりで戦ったマルタ騎士団は、敵襲に備えて作ってあった強固な要塞都市を中心に戦い、3ヶ月あまりでオスマンを撃退します。このときの騎士団総長ジャン・ド・ラ・ヴァレットの名前は要塞のあった現在の首都ヴァレッタの名前の元になっています。
 
マルタの包囲戦は16世紀のヨーロッパにおいてもっとも激しく大規模な戦争でした。当時、地中海の広範囲に勢力を伸ばしつつあったオスマン帝国が16世紀に初めて破られる戦争となり、その後、スペイン王国が地中海の覇権をオスマンから徐々に奪うことになりました。
 
マルタ騎士団の勇猛果敢な戦いは、ヨーロッパの歴史の中でも重要な史実とされ、マルタの人々に受け継がれている歴史でもあります。

独立国家として

independence and sovereignty

しかしその後、宗教改革のうねり、ロシアやフランス海軍の台頭などもあり、徐々に騎士団の力は弱まっていきます。1798年、フランス・ナポレオンに占領を許し、ついにマルタ騎士団はマルタ島を離れました。(マルタ騎士団は現在、「領土を持たず、しかし主権を有する国際機関」としてローマに本部があります)
 
ナポレオン没落後、マルタはイギリスの統治下に入ります。マルタ島は地理上、イギリスと連合国のエジプトとの航路上にあり輸送基地でもあったので、第二次世界大戦においてはドイツから激しい空襲を受けます(第二次マルタ包囲戦)。しかし陥落することなく耐えしのぎ、時のイギリス国王ジョージ6世はその功績を称え、「ジョージ十字勲章」をマルタ国と国民全員に授与しました。
 
戦後は独立運動も盛んになり、1964年、ついにマルタは国家主権と独立を勝ち得て、10年後、「マルタ共和国」が誕生しました。

‐ 地中海の島国 ‐

MALTA

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